日々の雑記

なにぬねの
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...... 2022年02月19日 の日記 ......
■ 勇気が湧いてきた:糧となった命を生かしきるということ   [ NO. 2022021903-1 ]

ひふみひふみで夜食を頂いたらすこし気持ちが落ち着いて。

引き続き

ひふみよいむなやこともちろらね
しきるゆゐつわぬそをたはくめか
うおえにさりへてのますあせゑほれけ

のひふみ神歌で食事を頂いている時に、

人間の糧のために犠牲になってくださった命たちを生かしきるということは、単に粗末にせずすべて活用し極力捨てるようなことはせず無駄にしないこと他に、

それを糧として、しっかり為すべきこと、難しいことなどを遂行する動力にいかしきりなされという意味だと気が付きました。

犠牲になった命は、わしの糧としての意味だけではなく、
わしの動力となり、その動力が地球を救ったり、ひいては宇宙の安寧になれば。

非常に意義のあるものになる事に気が付きました。

無駄にしない様いかしきる調理をしたり、残さず食べるのはもちろん。

食べておいて、為すことがあるのに何も為さずその動力源を大したことに使ってないなら生かしきることにならない。

まだ色んな意味があるかもしれない。

四つ足は、共食いになるというし
極力食べないようにするとして、今日は鶏を食べました。
鳥もあまり食べないようにするつもりですが、食べたからにはその犠牲を出来るだけ意義あるものにしてあげたい。

返すべきものを汗だくになって掘り起こし、しっかり返す。

それを成し遂げたら、糧として犠牲になってくれた存在達はすこし違う存在となるのではないだろうか。

食すとき、応援してほしいという気持ちで頂きました。

申し訳ない気持ちと、その命の犠牲をちゃんと意味あるものにする決意をここに誓ふ。


あまり喋ると動力が損なわれそうなのでここまで。


この日記が誰かのお役に立てていたなら幸いです。




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■ 恐怖   [ NO. 2022021902-1 ]
小学5年生だったか6年生の頃の話。

近所さんからとあるものを盗ってきたことがある。

わしは長年経た今になり、それをお返しして謝罪をすることにしました。

最終的に、人が言葉を使わず意思疎通できるようになるとすべて露見するし、

そして、この因果を解消する必要性と重要性が非常に重大だということがわしのなかで明白になっているので。
もう黙って過ごしていられない状態に至りました。

この因果を放置すると、また相手も自分も苦しみの縁で繋がり同じような事が起きてしまう。

わしが蒔いた種だしわしが蒔いた種はわしの手で刈り取らなければならない。


わしにとってこれは非常に難しい。


盗って来たものは罪の意識から土中に埋めてしまっている。
相当深い穴に。
大体の位置は判るけれども・・とにかく掘り出さなくてはならない。

掘り出し、

頭を下げて謝罪しそれを返却しなければならない。

黙って無かったことにはもうできない。

けれども、わしにとってお相手はかなり苦手な人物で怖い存在。

平素その方を意識すると少し緊張するほどです。

まして、泥棒の謝罪に行くとなれば、どんな雷が落ちるか・・。

感電して酷い有様になり死に至りそうな底知れない恐怖を感じる。


黙っていれば済んでしまう、という逃げ道は無く、一旦中間世に帰れば、「きみ駄目だったね、
ダメダメだね」となるだろうし、それ以前に、
地球の総決算・集大成としてもうすぐ人々がお互い何を考えているか黙していてもすべて見通せる状態になる日が来るので露見する。

逃げられない。

そして、今は恐怖で目がかすんでいるけれど。

わしの意識は自分を救うことが第一選択になっているけれども、

実にわしは、それをしなければ、被害者を救うことができない。

物を盗まれた人は人を信用できなくなり、世の中を信用できなくなる。

そして心を閉ざしてしまう場合だってある。

盗まれた悲しみや喪失の痛みが相当である。

そのことはこの身で嫌というほど体験済み。

そして、もし加害者が謝罪に現れたら複雑な気持ちに成れども救いになり癒されることも知っている。

ならば、わしは意を決してそれを行わなければならない。

苦しい怖い。

この辛さは自分の行いが招いたもの。

自分で蒔いた種を刈り取る大変さを学びそれを実行する難しさ。

しかしわしはそれをしなければならない。

もう覚悟はできた、行う、そしてそれを体験する。

宇宙にいる自分意識(ハイヤーセルフ)はそれを行う事を望んでいるし喜んでいる。

地上のワシは怖くて胃がおかしくなりそう。


母上に、そのお宅に悪いことをしたことがあるから

謝りに行く予定である胸を話したら、黙っていて済むのならやめなさいと水を差された。

おかしなことになって関係が変に悪化する危険性を母は恐れていた。

お相手は近所でもちょっと気難しいことで有名な方なのだ。

母にはそれ以上事情は説明しないでおいた。

謝罪と返却を済ましすべてことを為し果たすまで言うべきでなかったかもしれない。


気が削がれる、ますます恐ろしくなる。


わしはわしとその方との因果を解消するために地球に生まれてきたのだろうと思う。

これはありうる。

これほどズキズキ胸が痛むのはそういうことのはず。

もしかしたら、転生前に、示し合わせていて、わしの謝罪を忍耐強く待っているのかもしれない。


記憶が消されているし真相は蓋を開けなければわからない。

雷が落ちそうな気がする。

子供のやったこととはいえ、

実に実に、そうではなく
成人してさらに久しく罪の意識を持ちながら隠し黙ってきたのだ、成人後に行った事にも等しい。

法的な問題ではなくこれはこの世界の道理、あるべき形にものごとを糺す必要性が絡む宇宙規模の話なのだ。

大げさではなく、そうに違いないと確信している。

隠し黙している方がわしにとっても、やはり辛いだろう。

相手も辛いだろう。

ならばそれを解決するのが光の道、愛の道というもの。

わしはわしを救わなければならない、そして相手も救わなければならない、相手の立場としてもわしを救ってくれる行動をして初めてこの因果は愛に満たされるか否か・・・。

また結果を考えている。

結果ではなく、まずはこの恐怖の壁を乗り越えなければわしはこれ以上の壁を乗り越えられない。

これから多くの人を救っていくのに、この壁を乗り越えられないわしはそれそうおうの事しかできない存在になってしまうだろう。

救えるはずの人も救えなくなる。

がんばれワシ。

正念場だ。

日月の神様や様々な存在方々がこんなに親切に愛情深くお膳立てしてくれているのだし、
わしはみんなの助力と勇気をもらって、つまり高下駄を履かせていただき意を決し行動するしかない。

まずは友引の日か大安の日に返却物を土中より掘り出して。

同じく大安の日にお返しして謝罪をおこなう。
なるべく穏便に済むように、なるべくあらたな苦しみの因果とならないように、

そして感謝と愛と幸福が双方にもたらされるように。

わしにも、相手にも大吉日と言える日になるように。



付随させる持参品はなににしようか。

何か贈りものを付随させるのが道理だろう。


怖ろしい。

他人事なら易しのように見える、しかし当事者になると無理難題に等しく感じる。


潔くしよう。


相手も同じ人間、誠心誠意言い訳などせず平謝りして、

ものをキチンとお返して何かお詫びのお菓子か役立つものを受け取ってもらえば、なんとか・・

わしは赦されないと、赦すことができなかった相手があとになってそのことで苦しむことになる。

なのでわしは完全確実に赦しを頂けるよう尽くさなければいけない。

すこし気が遠くなるも、果たさなければ。

為すことを為したら、後は相手の思し召し、天の思し召しに委ねるしかない。

余計なことは考えないようにしよう。

わしはすべて感謝して責めも恥もうけなければならないのでそれを覚悟すればできる。


これをしなければわしはこの先これ以上のことを何も為せなくなってしまう。

頑張る。


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■ 「大日月地神示」   [ NO. 2022021901-1 ]

「大日月地神示」を知り、世界が変わりました。

大事にしていたPC内の9割以上のファイルを削除し

かつて満杯だったHDD容量はがら空きになりました。

如何わしいファイルも消去。

もう引き上げ回復はしません。

大事に思っていたフィギュアも、いままでありがとうの気持ちで大半を手放す流れです。

すでに6割以上引き取ってもらいました。

後の4割五分ぐらいをさらにタダ同然で引き取ってもらうようにして。

最終的に残りは4つか5つ残すかもしれないし、全部手放すかもしれないし、今は判らないけれども。

執着を手放すというのは、結局のところとても難しいもので、

わしの場合は日月の神様、艮金神様、神々様の深い愛に抱かれてようやく手放しの実行に踏み出せたかたち。


わしは甘えん坊ということもあり、
神様の愛を頼りすぎているような気分も少しあるけれども、なかなか自分一人の力で断捨離を果たすのは難しい断捨離を行っていくことができたのは

「大日月地神示」のおかげ、つまり日月の神様、艮金神様、そしてエンジェルナンバーで懸命に励ましてくださり支えてくださった天使の方々、出会った人々、身を犠牲にしてわしのご飯として糧になってくれた名もなき存在達のおかげ。

天、地土、日火、月、海水、星々、沢山の神々、沢山の天使、沢山の龍、異星の方々、地球の方々、霊人、獣、鳥、虫、微生物、ありとあらゆる全ての存在である皆に生かされてわしは生きることができて、為したいことを為せていただいていることが今一度振り返るとますます判然としてきます。

一人で生きていると勘違いをして、自分自分の我を張るわしにわし自身手を焼くのはこれからまだ続くかもしれないけれども、
だいぶ過ごし易くなってきたように思います。

まずは、利己のための行動から利他のための行動をすることでエゴエゴ病を治したいところです。

少しでも慢心したら転落する、

油断禁物。



自分可愛いし他人のことは知らんぷりになるのでそれを阻止する。


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