日々の雑記

なにぬねの
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...... 2022年01月21日 の日記 ......
■ 恐怖を手放すこと・悪夢   [ NO. 2022012101-1 ]

だいぶ手放しができて来たけれども、

目の前にバットを振り回し襲ってくる闖入者が現われたら、

そこに恐怖が生じる。

そして反撃して転倒した闖入者が命乞いをするという忌まわしく衝撃的な夢を見た。


もうひとつ

わしだけ和になじめず人々の中に溶け込めず、疎外感を感じる夢を観た。

わしは知らない人々に恐怖を感じていたので

集団になじむのにずいぶん苦労して

そういうものが元になって恐怖に加えて疎外感も感じて傷つくことが在った、

人に対する恐怖、そして知らない人に襲われる恐怖

もうあと2つの恐怖の夢を観た。

あわせて4つ。

忘れてしまった2つの夢の一つは大事なものを手放せない執着からくる恐怖だったように思う。


これらの恐怖の夢はわしが意図して希望して観たもの。

それを観ることでその恐怖の元を手放すことができる。

なので前もって高次の存在に恐怖の元を教えてほしいと補助を願ったのだ。


すぐ、その要望に応えてもらった形。

その夢を観て目覚めてすぐ、混濁した意識の中で恐怖の元になるものを手放す瞑想を行った。

それでも、

わしの中には分離の元になる恐怖がまだ埋まっている。

怖いという感情は無限に浮いてくる感情なのでそれを否定したり

蓋をして隠す必要はなく、

否定し覆い隠してしまうと、それは存在したまま異物となりくすぶり続け暴れ続ける。

在るものを否定すること自体が問題なのでそれが新たな問題となり、

病気の元になる。




●何かの体験→恐怖・悲しみ不安などの感情→怒り→攻撃性

この過程のどれか1つでも蓋をして押さえつけたり否定すると、そのひずみは精神や体に症状となって現れる。

怪我であったり、アトピーなどアレルギー症状といった拒絶体質で現れたり、めまいや頭痛、痛み、様々な障りとなる可能性がある。

どれも悲しみを生じさせた元の体験を静かに内観して、

その時、悲しい、辛い思いをした自分を優しく肯定し認めてあげることがだいじ。

そうすれば癒してあげることができる。

意外と現世ではなく、過去世の心的外傷が現世で様々な障りとなり現れることが多々ある。

かなり深いところに埋もれている体験を観ることが大事。

わしは、刃物や鈍器で襲ってくる人を受け入れるほど、

つまり致命の危機を恐れず、むしろ感謝して受け入れるぐらいになれたら第一目標に到達できそうな気がする。

その頃には自我との戦いも終わっていて、全てを愛として受け入れることができる状態になっているはず。

これらは瞑想による内観でしか為しえないと思う。

ということで瞑想やっていきます。

とても大事。

恐怖は愛の光に。

闇も愛の光に。

すべて愛の光で出来ていることを脳ではなくちゃんと感覚として理解したい。

それを成し遂げたい。

自我に勝つこと、恐怖を克服する事。

この世界を愛の光で照らすに大切な事。

―――――――――――――――――――

地球への愛を主題とした動画を見つけた。

とても素晴らしい動画だった。

動画投稿主からして観音様を感じるような深い愛と優しさに溢れるような人物。


そこでわしは「地球への愛と、地球からの愛」を感じた感動をそのように投稿欄に書いて投稿した。

そして、それだけでなく、動画で少し触れられていたコロナ流感について、

「流感も全然怖くないです、それら一つ一つのウイルスは天から遣わされた目覚めの使者で精神的恩恵を沢山得ました。」


さらに、「一見災いに思えることは、判り易い恩恵より遥かに大きな幸と恵みとなると思います。」

という事を付け加えた。



投稿主さんはわしの投稿に対して💕を付けてくれて、

さらに次のような返信もしてくれた。


「怖くない人もいる、怖い人もいる、それぞれがもっと解り合えると好いですね、それが共感です」


わしはその返信を読んでハッ!として、わしの投稿を消した。

消しても無かったことにはならないのだけれども、

その時自分の中に恐怖があることを発見した。

大抵の人はもちろんコロナを恐れる。

「死」により「私」という意識は消えることもないし

死は状態変化でしかなく、むしろ肉体を持って生きている状態こそが実は死んでいるような特殊な状態で、

現世から見る死後の世界こそが元々居る安らぎの場所であり、何時もいる場所であり、

やがて楽しく帰る居心地の良い家であることを重々知っているワシでさえ、

肉体を持ち地球に転生している今、やはり死は恐怖だし、悲しいことに感じる。

であるならば、亡くなる人もいて、

恐怖する人々が多い流感ウイルスを天の遣いとか目覚めの使者であると人目を憚らず発言するのは

最善ではないかもしれないと感じた。

そのとたん恐怖が現われた。

その発言で誰かを傷つける恐怖、さらにわしが誰かからそれで疎外される恐怖。

まだ恐怖の元になるものが埋まっている。

それら恐怖の元はこの地球に来て摺り込まれた価値観でありわしの価値観ではない。

わしはわしに恐怖しそのわしを否定し裁き、消してしまった。

「辛さを感じ」「恐怖」し「否定」し「裁き」をしているわしがそこに居た。


誤りでも嘘でも悪でも罪でも何でもすべてを受け入れ全肯定する境地に至れない自分もそこに居る。

あるものをすべて受け入れる存在肯定力を手に入れるのは難しい。

つまり完全な愛を手に入れるのは意外と難しい、簡単なのか難しいのかよくわからない。

裏を返せば、高次からよくここまで波動を落として転生出来たものだと関心もする。

高次からここに来れたのだから高次に帰ることもできるはずだけれども、

肉体を持っているからか、

地球での体験や摺り込によるものなのか、

分離世界から脱するのは容易ではないように感じる。


容易と思ってやっていくしかないのだけれども。


わしはわしを愛の光で包み救う必要がある。

この一件で恐怖や否定、裁きをする自分を見つけることができて幸いだった。

それは、暗い感情の発生源を捨てるために大事な内観材料になる。

瞑想が必要だし内観が必要。

わしはそれをやっていく。

真に光の循環を起こすには必要な事。

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